人生お金だけじゃないかも、と思い始めた話

このエントリは数十年後、僕が「大学4年の時こんな事思ってたのかよ!痛すぎ!(笑)」って楽しむためのものであって、他人に向けて書いているものではない。
いわゆる黒歴史日記だ。その類が苦手な人はブラウザバックを強く、強く推奨する。というか他人に見せるのは恥ずかしい。
人によってはなんて幼稚な考えなんだと思うだろうし、実際僕はそこまで精神的に成熟していない。
なので、このエントリによって素晴らしい人生観が得られるんじゃないか、などという期待はしないで欲しい。

このエントリの結論は、「人生お金があれが幸せになれる、というのは幻想かもしれない」ということだ。
僕には今(22歳)、将来の夢と呼べるものが2つある。

  • 宇宙飛行士になること
  • 自由に人生を生きること

1つ目はいいだろう。透明だし、分かりやすい。
2つ目の夢は、「好きなことを、好きなだけやり、常に新しい経験を好奇心を持ってやりたい」ということである。

2つ目の夢には世界中の色んな所を気ままに旅をしたい、も含まれていて、当然お金がかかる。
しかも僕は大のガジェット好きだし、古いものを修理したり、魔改造するのも好きだ。
つまり、僕が「好きなことを、好きなだけやる」ためには、それ相当のお金がかかるということになる。

僕は社会不適合者の自覚があるので、会社には絶対属さないし、属せないと思っているので、自分の力でお金を稼ぐ必要がある。
実家は裕福ではないし、母子家庭なのも相まって、大学生になってからはそのことを強く意識し始めており、起きている時間の半分以上はお金のこと、将来のこと、仕事のことを考えていると思う。

こんな僕だが、現在夏休みの真っ只中で、今日は1日 Amazon Prime Video で SILICON VALLEY というドラマを見てダラダラ過ごしていた。
そんな時、突然、鮮明に自分がお金を持って、好きなものを好きなだけ買うことができる生活になったビジョンが浮かんだ。
一瞬、お金持ちを体験した。

直後に頭に浮かんだことは、「これでは満たされない」だった。

お金があって好きなものを買うことができても、その一瞬だけ所有欲が満たされて終わる。
お金が無い今だから、心が貧しいから、モノに惹かれるだけであると推測された。

では、自分は何に幸福を感じるのだろう、と考えると、

  • 人に何かをしてあげる
  • 自分が生きた証を残す
  • 自分で「これはすごい!」と思ったものを作る

かなと思った。

今だったら、人工流れ星のシミュレーションを通して、アブレーションや非平衡計算に学術的意義をもたらしたいと強く思う。
論文やこのブログを通して自分が生きていたという証を残したいとも思う。

そういうことのほうが、幸せかもしれない。と思った。

ただ、この気付きは、綺麗事ではないし、決して見上げた精神ではないと自覚している。
もしかしたらここまで読んだ人のほとんどは、「結局、お金よりも大切なものがあるってこと?」と思っているかもしれない。

そんな大それたことではない。
なぜなら、あくまで、自分が何に満たされるかという価値観に基づいて出された仮説であるからだ。
完全に利己的だし、自分中心にしか考えていない。

しかし、今はこれでいいと思っている。
僕は未熟だし、まだ自分の事しか考えることができない。
しかし、必死に生きていく中で、徐々に周りの人にも関心を向けることができるようになって、いずれ他人の幸せを自分の幸せに感じれたらいいなと思う。

今このエントリを何回か読み直してみて、すでに恥ずかしい。
これは立派な黒歴史になるポテンシャルしかないとすぐわかる。
将来の自分がこれを読んで「こんな事考えてたっけ?」と思いながら楽しんで読んでくれると嬉しい。

Licensed under CC BY-NC-SA 4.0
最終更新 2022/09/17 15:55 +0900
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